大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)1513号 判決 1982年10月28日

原告

東龍雄

被告

駒姫タクシー株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告に対し、一八一三万〇〇九二円及びこれに対する昭和四七年四月二八日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告代理人は、「(一)被告らは各自、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する昭和四七年四月二八日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二  被告ら代理人は、「(一)原告の請求を棄却する。(二)訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四四年四月九日午前七時三〇分頃

2  場所 大阪市浪速区幸町五丁目三番地先T字型交差点内(以下「本件交差点」という。)

3  加害車 普通乗用自動車(大阪五か一七九〇号)

右運転者 被告森本勝(以下「被告森本」という。)

4  被害者 原告

5  事故態様 原告は、原動機付自転車(大阪市港か一四〇三号。以下「被害車」という。)を運転し、前記交差点を西から南に右折すべく、その中央付近に停止中、西から東に直進してきた加害車に衝突された。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告駒姫タクシー株式会社(以下「被告会社」という。)は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

2  一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告森本は、前方不注視の過失により、本件事故を発生させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

原告は、本件事故により、右第一掌骨骨折、左腸骨・腎部・腰部挫傷、頸部椎間板損傷、頸部挫傷、前頭部挫傷等の傷害を受けた。

(二) 治療経過

(1) 手島外科病院

昭和四四年四月九日から同年八月一二日まで入院した。

同月一三日から同月一五日まで通院した。

(2) 松田神経科・内科診療所

昭和四四年八月一五日から昭和四五年七月二〇日まで通院した。

(3) 多根病院

昭和四五年三月二五日から同年一〇月一七日まで通院した。

(4) 松井整形外科病院

昭和四五年一〇月一六日から昭和四八年六月四日までの間に、

<イ> 昭和四五年一〇月二〇日から昭和四六年一月二六日まで(この間に、第四、第五頸椎椎間固定手術を受けた。)、

<ロ> 同年六月七日から昭和四七年三月九日まで(この間に、第三、第四頸椎椎間固定手術を受けた。)、

<ハ> 同年四月二四日から昭和四八年二月二七日まで(この間に腎臓手術、腰部椎間板手術を受けた。)

それぞれ入院し、その他は通院した。

(5) 大阪市立大学医学部付属病院脳神経外科

昭和四七年七月一五日から昭和五三年六月二一日までの間に、昭和四八年七月二日から同年一〇月五日まで入院(この間に頸椎―首後部―固定手術を受けた。)し、その他は通院した。

(6) 大阪市立城北市民病院

昭和四九年二月七日から同年三月二二日まで入院し、この間に腰部の手術を受けた。

(三) 後遺症

原告は、昭和五三年六月二一日、大阪市立大学医学部付属病院(以下「市大病院」という。)で、症状固定の診断を受けたが、次のとおりの症状が残存している。

(1) 主訴又は自覚症状

頸部痛、頭痛、三叉神経痛、腰痛、両下肢痛、両下肢筋力低下、知覚低下、右上肢筋力低下等

(2) 他覚症状

上下肢の筋力低下・運動制限、頸部の運動制限、眼球障害、聴力障害、排尿障害等

原告のこれら症状については、機能回復の見込みなく、社会復帰は不可能であると診断されている。

なお、原告は、右症状固定日以後も、症状緩和のため、前記市大病院脳神経外科において、頸部硬膜外ブロツク注射による治療を継続して受けている。

2  入院雑費 一四万九七〇〇円

3  逸失利益

(一) 休業損害 一七九八万八四〇〇円

原告は、本件事故当時明星房建設(星野伸一良経営)に大工として勤務していたところ、本件事故により、昭和五三年六月三〇日まで全く就労することができなかつた。したがつて、原告は、左記のとおり、右明星房建設の各年度の賃金表に基づく収入額合計一七九八万八四〇〇円を失つた。

(1) 昭和四四年分

四月九日から同月三〇日まで 五万七二〇〇円

五月一日から一二月三一日まで 五八万二四〇〇円

(2) 昭和四五年分 九八万円

(3) 昭和四六年分 一一四万八〇〇〇円

(4) 昭和四七年分 一六五万一二〇〇円

(5) 昭和四八年分 一八九万二〇〇〇円

(6) 昭和四九年分 二〇六万四〇〇〇円

(7) 昭和五〇年分 二四二万二四〇〇円

(8) 昭和五一年分 二七八万六四〇〇円

(9) 昭和五二年分 二九二万四〇〇〇円

(10) 昭和五三年分

六月三〇日まで 一四六万〇八〇〇円

(二) 後遺障害による逸失利益 二八八八万一〇四六円

原告は、前記後遺障害のため、昭和五三年七月一日以後就労可能な一七年間にわたつて、その労働能力を七九パーセント喪失したものであるから、原告の昭和五三年度における年収額三〇二万七一〇〇円を基礎にして、その逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、二八八八万一〇四六円となる。

4  慰藉料

(一) 入通院分 五〇〇万円

(二) 後遺症分 三〇〇万円

5  弁護士費用 五〇万円

四  損害の填補

原告は、損害金の内金として、被告らから一七〇万九三六〇円の支払を受けた。

五  よつて、原告は被告ら各自に対し、前記三の2ないし5記載の損害額五五五一万九一四六円から前記四記載の填補額一七〇万九三六〇円を控除した残額五三八〇万九七八六円のうち二〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四七年四月二八日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する答弁並びに被告らの主張

一  答弁

請求原因一の1ないし4記載の事実は認めるが、5記載の事実は争う。

同二の1記載の点は認めるが、2記載の点は争う。

同三の1記載の事実は知らない。2ないし5記載の事実は争う。

同四記載の事実は認める。

二  主張

1  原告の損害について

腰部椎間板ヘルニアに伴う諸症状、後遺症状は、本件事故と因果関係はなく、その他の症状についても、原告の心因性の影響が強いと考えられる。

2  過失相殺について

原告は、加害車との兼ね合いのみから、その前方を横切つて本件交差点を右折しようとしたところ、左方からの対向直進車に気付きその進行が妨げられたため、減速ないし停止せざるを得なくなつたもので、被告森本としては、自車進路前方に突如被害車が出現し、やむなく同車に自車を追突させたものである。したがつて、本件事故発生については、原告に、直進車の進行を妨害する形での無理な右折をしたという重大な過失があるから、原告の損害を算定するに当つては、十分な過失相殺がなされるべきである。

3  弁済について

本件事故による損害については、原告が自認している分以外に、次のとおり、被告らから弁済がなされている。

(一) 治療費 一五五万三一八〇円

(二) コルセツト代 一万六四〇〇円

(三) 氷代 三五〇円

(四) 付添看護費 一〇万三六九八円

第四被告らの主張に対する答弁

被告らの主張のうち、1、2記載の点は争い、3記載の事実は認める。

第五証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4記載の事実は、当事者間に争いがなく、同5記載の事故の態様については後記第二の二で認定するとおりである。

第二責任原因

一  運行供用者責任

請求原因二の1記載の点は、当事者間に争いがない。したがつて、被告会社は、自賠法三条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  一般不法行為責任

1  前記第一の争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、乙第二号証の一、二、同第三ないし第五号証、原告、被告森本勝各本人尋問の結果と弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる(ただし、乙第五号証の記載、被告森本勝本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)。

(一) 本件交差点は、ほぼ東西に通じる道路(以下「本件道路」という。)に、南に伸びる道路(以下「交差道路」という。)がほぼ直角に交差する、信号機による交通整理の行われているT字型交差点で、付近の状況の詳細は、別紙図面記載のとおりであること、右交差点付近の本件道路は、別紙図面記載のとおり、歩車道の区別のある道路で、車道のほぼ中央には路面電車の運行する幅員約六・一メートルの軌道敷(砂利が置かれていた。)があり、その南北両側はいずれもアスフアルト舗装されていること、他方、交差道路は、別紙図面記載のとおり、歩車道の区別はなく、アスフアルト舗装された道路であること、ところで、本件道路は、本件交差点の西側約一五〇メートルに位置する大正橋方面から、右交差点の東側桜川方面にかけて、ほぼ一直線であるため、東西の見通しは極めて良い状態にあること、また、本件道路の最高速度は時速四〇キロメートルに制限されていること、なお、事故当時、付近路面は乾燥していたこと。

(二) 被告森本は、加害車(タクシー)に乗客四人を乗せ、本件道路の前記軌道敷の北寄りを時速約五〇キロメートルで東進し、本件交差点に差しかかつた際、同交差点の信号が青色を表示していたことに気を許し、前方に十分な注意を払うことなく、漫然と交差道路に入つてゆく車両を眺めたりして進行したため、すでに、右折の合図をして本件交差点に入つていた被害車の存在に全く気付かず、別紙図面記載の<1>地点にまで進んだとき、はじめて同図面記載の<イ>地点辺りを右折進行している被害車を認め、あわてて急制動の措置をとつたが、及ばず、同図面記載の<2>地点で、自車左前部を同<ロ>地点の被害車後部に衝突させて、原告を跳ね飛ばし、路上に転倒させたこと、なお、当時、加害車の左横(北側)には、並進するトラツク一台があつたけれども、右トラツクによつて、被告森本の前方の視界が妨げられるようなことはなかつたこと。

(三) 原告は、被害車を運転し、本件道路の前記北側のアスフアルト舗装部分を時速約四〇キロメートルで東進して事故現場である本件交差点に差しかかつたこと、そして、前記衝突地点の西方約三〇メートルの地点で、本件交差点を西から南に右折すべく、右折の合図を出すとともに、後方を確認したところ、後方の車両がかなり遠くにあるように見えたので、減速しながら交差点に進入し、前記<イ>地点から軌道敷に車体を入れたとき、折から東から西に直進して来る対向トラツクを認めたので、前記<ロ>地点に停止したところ、前記(二)で認定した状況下で、加害車に衝突されたこと。

以上の事実が認められ、前記乙第五号証、被告森本勝本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前顕各証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  右1で認定した事実によると、被告森本は、加害車を運転して前記軌道敷内を東進し、本件交差点を直進通過しようとしたのであるが、その際、前方(特に左斜前方)に対する注視を怠つたまま、制限速度を上回る速度で進行した過失により、進路やや左斜前方から、右折の合図を出し、横断しようとする被害車の発見が遅れ、適宜の措置をとるいとまもなく、同車後部に自車左前部を衝突させたものと認められる。

したがつて、被告森本は、民法七〇九条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

第三損害

一  受傷、治療経過、後遺症

1  成立に争いのない甲第二ないし第六号証、同第九ないし第一二号証、同第一四ないし第一七号証、同第一九ないし第二一号証、証人松井善邦、同白馬明の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故後意識を失い、直ちに手島外科病院に運ばれ、「頭部挫傷(脳内出血の疑い)、前額部挫創、顔面挫創・挫傷・擦過創、頸椎捻挫、右第一掌骨骨折、左右手背指部挫傷及び擦過創、左腸骨・臀部・腰部挫傷」と診断され、受診時から意識は徐々に回復したものの、吐き気、頭部重圧感、頭痛著明で、安静加療を必要として入院措置がとられたこと、こうして、原告は、同病院に、昭和四四年八月一二日まで入院し、その後同月一五日に一回通院したこと。

(二) 原告は、昭和四四年八月一五日、頭痛、頭重、肩凝り、物忘れ等を訴えて、松田神経科・内科診療所で診察を受け、昭和四五年八月二八日までの間に、八四日間通院したこと、そして、同診療所の初診時の所見として、脳神経に特記すべき異常は認められなかつたが、脳波検査においての波の抑制傾向があり、また、頸部運動は良好なものの、前屈時に疼痛が、左側屈時につつはりが、右側屈時に右頭頂に放散痛がそれぞれ認められ、さらに頸部レントゲンでは、第五、第六頸椎間に角形成が認められたこと、そこで、同診療所松田孝治医師は、薬物、理学の両療法を継続的に実施したが、原告の症状が好転しないばかりか、頭部・頸部を中心とした愁訴が次第に強いものになつたため、これらの症状に原告自身の精神的要素が影響しているのではないかと考え、各種心理学的諸検査を実施してみたこと、その結果、心理的に社会適応困難な状況にあることは認められたが、詐病などを疑わしめる傾向が否定されたので、同医師は、右検査結果のほか、原告の主訴に比し、レントゲン所見から得られる他覚的所見が乏しいこと等に鑑み、設備の整つた松井整形外科病院に、より精密な造影検査を依頼するに至つたこと。

(三) そこで、原告は、昭和四五年七月一日、右松井整形外科病院で受診し、同月二〇日から入院して、髄核造影検査及び脊髄腔造影検査を受けたこと、同病院の松井善邦医師は、右両検査の結果、頸椎第三、第四間、第四、第五間、第五、第六間の椎間軟骨に異常所見が、腰椎の第三、第四椎間に圧迫像の所見が、それぞれ認められたので、前記松田医師に対し、腰部に関しては、当面症状も軽度であるから、経過観察を行いたいとしつつ、頸部に関しては、第四、第五間又は第五、第六間の椎間板につき、一方若しくは双方の固定術の必要性がある旨の返答をしていること、そのため、原告は、松田診療所の医師と相談し、被告会社の了承を得たうえ、松井医師の下で手術を受けることに決めたこと、なお、この間、原告は、昭和四五年三月二五日から同年一〇月一七日までの間、頭部痛を訴えて、多根病院に頻繁に通院し、治療を受けていること(もつとも、同病院では、本件事故と関係のない膀胱炎、陳旧性外痔核についても治療を受けている。)。

(四) こうして、原告は、昭和四五年一〇月一六日から昭和四八年六月四日まで、松井整形外科病院で治療を受けたが、この間の経過は、

(1) 昭和四五年一〇月一六日、通院し、各種検査を受けたこと、

(2) 同月二〇日から昭和四六年一月二六日まで入院し、昭和四五年一〇月二六日には、第四、第五頸椎椎間固定手術を受けたこと、

(3) 昭和四六年一月二九日から同年六月二日までの間五二日間通院し、この間、薬物の投与のほか、低周波、超短波療法を受けたこと、

(4) 同月七日から昭和四七年三月九日まで入院し、昭和四六年九月二二日には、第三、第四頸椎椎間固定手術を受けたこと、

(5) 昭和四七年三月一四日から同年四月二二日までの間一四日間通院し、超短波療法のほか、整形外科機能訓練を受けたこと、

(6) しかし、頭部、頸部の痛みに加え、腰部から下肢の痛みを訴えるようになり、同年四月二四日から昭和四八年二月二七日まで入院し、この間の昭和四七年八月二五日、検査の過程で偶然発見された本件事故と無関係な腎臓結石を除去する手術を、また同年一二月七日第三、第四腰椎椎間板ヘルニアの手術をそれぞれ受けたこと、

(7) 昭和四八年三月二日から同年六月四日までの間一四日間通院していること

以上のとおりで、前記松井医師は、原告の症状を「<1>頸部椎間板損傷による頸性頭痛及び頸腕症候群、<2>腰部椎間板ヘルニア」によるものと診断するとともに、右<1>は、本件事故によつて惹起されたものであるが、右<2>は、手術時の所見等から、腰椎椎間板にいわゆる経年性の変形も認められ、これが症状発現に寄与しているとの見解を明らかにしていること。

(五) 一方、原告は、昭和四七年七月一五日、頭部、後頸部の痛み、左上下肢のしびれ感、腰痛等を訴えて市大病院脳神経外科で受診したこと、同科では、白馬明医師が主治医となり、ひとまず「頸部打撲、頭部の打撲・挫傷、前斜角筋症候群」と診断し、頸動脈撮影を指示したこと、こうして、原告は、以後同年九月一六日まで五日間通院し、右撮影を受けたが、異常はなく、原告の愁訴は、頭部打撲・挫傷に基因する症状ではないことが判明したこと、その後、原告は、前記松井整形外科病院退院後の昭和四八年三月七日、頭部、頸部等の痛みを訴え、再び市大病院脳神経外科へ診断を受けに行つたこと、前記白馬医師は、当面その疼痛の緩和を目的として、硬膜外腔注入(ブロツク)を一週間に一度の割合で実施したこと、ところが、必ずしも原告の痛みが緩和しなかつたうえ、第五頸椎以下の痛覚低下といつた頸髄障害を示す徴候のほか、椎骨動脈血行不全症を疑わせるめまい等の症状も現われてきたため、同年七月二日から同年一〇月五日まで入院させ、この間の同年八月二日、第四頸椎から第一胸椎まで椎弓切除術を行つたこと、そして、術後の脊髄腔造影では、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間の神経圧迫が顕著な改善を示していることや、原告自身の頭痛、上肢のしびれも軽減していることが確認されたこと、ところが、一方、右造影に際し、第三、第四腰椎椎間板ヘルニアの悪化が認められていたが、次第に排尿障害、歩行障害も発現するようになつたこと、このため、原告は、右退院後も昭和四九年一月三〇日まで、ほぼ一週間に一度市大病院に通院し、前記ブロツクのほか、腰部ヘルニアの治療を受けていたが、同年二月七日白馬医師の紹介で、城北市民病院に入院し、同月一五日、右ヘルニア摘除及び腰椎椎弓切術を受け、同年三月二二日退院したこと、この結果、排尿障害及び歩行障害は多少の軽快をみるに至つたこと。

(六) その後、原告は、市大病院脳神経外科に、同年五月末頃までは一週間に一度位の割合で、その後は、ほぼ二週間に一度程度の割合で通院し、頸部硬膜外腔注入(ブロツク)の治療を引き続き受けていること、そして、前記白馬医師によると、これら治療にもかかわらず、原告には、(1)頸髄損傷に基づく、頭部、頸部痛、三叉神経痛、頸部運動制限、右上肢筋力低下、痛覚低下、眼球障害(眼底検査によると、軽度の視神経萎縮が認められる。視力障害((右眼の矯正視力〇・八))、視野狭窄がある。)、聴力障害(オーデイオメーター検査による。)等の症状や、(2)腰部椎間板ヘルニアに由来する馬尾神経障害に基づく、両下肢痛、両下肢筋力低下、知覚低下等の症状が後遣症状として残存し、これら症状は、前記諸手術終了後も、一進一退の状況を繰り返し、昭和五三年六月二一日の時点で症状固定したとみてよいと診断されていること、もつとも、同医師は、症状固定後も、右(1)の症状に対し、その緩和を得るには、二週間に一度程度の頸部硬膜外腔注入(ブロツク)が必要であるとの所見を明らかにしていること。

以上の事実が認められ、乙第八号証の一、二のうち、右認定に反する記載部分は、前顕各証拠と比照して信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  以上の認定事実に、証人松井善邦、同白馬明の各証言を併せ考えると、本件事故と原告の傷害、後遣症状の関連性については、次のとおり解するのが相当である。

(一) 原告は、本件事故の際、頸部にもかなりの衝撃を受け、これがため、(1)第三ないし第七各頸椎椎間板の損傷を招き、これが同所の神経に圧迫を加えたことのほか、(2)頸部(とりわけ左側)の神経根そのものの挫滅をも生起したことが、前記認定の多種多様な愁訴の主な原因となつていたものであつて、手島外科病院、松田神経科・内科診療所等での入・通院は、その症状の改善を目的とし、松井整形外科病院での二回目までの手術、市大病院での手術は、いずれも、右(1)の椎間板の損傷を除去し、同所の神経機能を回復し、もつて愁訴の軽減をはかる目的でなされ、いずれも、所期の目的の一部を達したけれども、依然として、右(2)に伴う症状が強固に持続し、しかも、これが、現在の原告の愁訴の主たるものとして、前記1の(六)で認定したとおり、残存していると考えられる。

(二) さらに、原告は、本件事故後、腰部、下肢痛に悩んでおり、松井整形外科病院の検査でも、第三、第四腰椎間に変形が認められているが、これは、直接の外傷によるものではなく、以前より徐々に進行しつつあつた経年性の椎間板変性に、本件事故による外傷が加わり(手島外科病院において「腰部挫傷」と診断されている。)、頑固な症状となつたもので、昭和四七年一二月七日の松井整形外科病院での手術及び城北市民病院での手術は、いずれも、これら症状の軽快を企図して行なわれ、その結果、多少の改善はみたものの、前記1の(六)で認定の後遣症状として残つたものと考えられるので、右症状も本件事故と因果関係のあることは否定できない(もつとも、右症状の発現につき、経年性の変形が寄与したことは、明らかであるから、この点は損害を金銭に評価するに当つて斟酌すべき事情と考える。)。

(三) もつとも、原告の症状が著しく長期にわたり持続している点については、原告自身の性向のほか、症状が回復しないことによる不安、焦燥、被告らとの賠償問題が未解決なことからくる心理的負担等精神的要素の影響のあることも、否定できない。

二  入院雑費 一四万九七〇〇円

前記一で認定、説示した入院経過(腎臓の手術関係は除く。)及び経験則によると、原告は、入院雑費として、少なくとも、その主張にかかる一四万九七〇〇円の損害を被つたことが認められる。

三  逸失利益

1  前記甲第九号証、証人久保博の証言(第一回)とこれにより成立の認められる甲第七、第八号証、同証人の証言(第二回)とこれにより成立の認められる同第一三号証、証人東ヒサエの証言(第一・二回)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和三年二月二八日生で、昭和四三年五月以来、大阪市住吉区我孫子東一―六九所在の「明星房建設」(星野伸一良経営)に常備の大工として勤務し、事故前三か月間でみると、一か月平均二四日間稼働していたが、本件事故日以後は、全く仕事に就いていないこと。

(二) また、原告は、本件事故に遭わなければ、右「明星房建設」に勤務し、同時期、同一条件で採用された同水準の能力を有する同僚と同程度の収入を得ていたものと推認されるところ、右同僚の賃金は、(1)昭和四四年四月から同年一二月まで、日給二六〇〇円、(2)昭和四五年一月から同年五月まで、日給二八〇〇円、(3)同年六月から同年一二月まで、日給三〇〇〇円、(4)昭和四六年一月から同年五月まで、日給三三〇〇円、(5)同年六月から同年一二月まで、日給三五〇〇円、(6)昭和四七年から、日給四八〇〇円、(7)昭和四八年から、日給五五〇〇円、(8)昭和四九年から、日給六〇〇〇円、(9)昭和五〇年から、日給七一〇〇円、(10)昭和五一年から、日給八一〇〇円、(11)昭和五二年から、日給八五〇〇円、(12)昭和五三年から、日給八八〇〇円となつていること。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  休業損害

(一) 昭和四四年四月九日から昭和四七年三月末日まで 二七一万四五六〇円

前記一で認定、説示した原告の受傷、治療経過によると、右期間中は全休状態にあるのもやむを得ないと認められるから、被告らに賠償を求め得る損害は、この間の得べかりし収入の全額であり、次のとおり、右金額となる。

(算式)

(1) 昭和四四年四月九日から同月三〇日まで

原告の当時の一か月間の収入は、平均して六万二四〇〇円(前記1で認定した当時の日給二六〇〇円に事故前三か月間の平均稼働日数二四日間を乗じたもの。以下、同様に、前記1認定の日給×二四により月収を算定する。)である。

六二四〇〇÷三〇×二二=四万五七六〇

(2) 同年五月一日から同年一二月末日

六二四〇〇×八=四九万九二〇〇

(3) 昭和四五年一月一日から同年五月末日まで

二八〇〇×二四×五=三三万六〇〇〇

(4) 同年六月一日から同年一二月末日まで

三〇〇〇×二四×七=五〇万四〇〇〇

(5) 昭和四六年一月一日から同年五月末日まで

三三〇〇×二四×五=三九万六〇〇〇

(6) 同年六月一日から同年一二月末日まで

三五〇〇×二四×七=五八万八〇〇〇

(7) 昭和四七年一月一日から同年三月末日まで

四八〇〇×二四×三=三四万五六〇〇

(二) 昭和四七年四月一日から昭和四九年五月末日まで 二四九万六九六〇円

前記一で認定、説示した治療経過等によると、この間においても頸髄損傷に伴う諸症状が断続的に生起していたことが認められるけれども、本件事故と無関係な腎臓結石の手術による療養を要したほか、経年性の腰部椎間板変性に本件事故の外傷が加わつたことで発症した諸症状に対応する二度の手術や、その前後の治療を必要とした期間もあつたことも認められるので、これらの諸事情を勘案すると、市大病院での入院及びその前後の通院期間に相当する昭和四八年七月から一〇月までの間は全休状態もやむを得ないと考えられるが、その他の期間については、損害賠償法の基本理念である公平の原則に照らし、被告らに対し賠償を求め得る損害は、右期間の得べかりし収入の七〇パーセントに当る額をもつて限度とすべきものと考えられるから、次のとおり、右金額となる。

(算式)

(1) 昭和四七年四月一日から同年一二月末日まで

四八〇〇×二四×九×〇・七=七二万五七六〇

(2) 昭和四八年一月一日から同年六月末日まで

五五〇〇×二四×六×〇・七=五五万四四〇〇

(3) 同年七月一日から同年一〇月末日まで

五五〇〇×二四×四=五二万八〇〇〇

(4) 同年一一月一日から同年一二月末日まで

五五〇〇×二四×二×〇・七=一八万四八〇〇

(5) 昭和四九年一月一日から同年五月末日まで

六〇〇〇×二四×五×〇・七=五〇万四〇〇〇

(三) 昭和四九年六月一日から昭和五三年六月二一日まで 四五一万八七二〇円

前記一で認定、説示した通院の状況(二週間に一度の通院となつた。)、症状の椎移、後遣症状の内容、程度のほか、原告自身の心理要素が影響を及ぼしていることも勘案すると、被告らに対し賠償を求め得る損害は、右期間の得べかりし収入の五〇パーセントに相当する金額をもつて限度とすべきものと考えられるから、次のとおり、右金額となる。

(算式)

(1) 昭和四九年六月一日から同年一二月末日まで

六〇〇〇×二四×七×〇・五=五〇万四〇〇〇

(2) 昭和五〇年(一年間)

七一〇〇×二四×一二×〇・五=一〇二万二四〇〇

(3) 昭和五一年(一年間)

八一〇〇×二四×一二×〇・五=一一六万六四〇〇

(4) 昭和五二年(一年間)

八五〇〇×二四×一二×〇・五=一二二万四〇〇〇

(5) 昭和五三年一月一日から同年五月末日まで

八八〇〇×二四×五×〇・五=五二万八〇〇〇

(6) 同年六月一日から同月二一日まで

八八〇〇×二四÷三〇×二一×〇・五=七万三九二〇

3  後遺障害による逸失利益 一〇七一万二七八二円

原告には、前記認定の後遺障害が残存しているところ、右は本件事故による頸髄損傷を主因とするものではあるけれども、馬尾神経障害に伴う諸症状には、経年性の腰椎椎間板変形が相当程度寄与していること、さらに、症状全般について、原告自身の心因的要素の影響も認められること、その持続期間を原告主張のとおり症状固定日(原告は五〇歳である。)から六七歳までとするときは、根本的な変化はないまでも、緩徐には軽減するものと認められること等の事情を併せ斟酌すると、被告らに賠償を求め得る逸失利益は、全期間を通じて、得べかりし収入の三五パーセントに相当する額をもつて限度とすべきものと考えられるから、年別のホフマン式により、年五分の中間利益を控除して算定すると、次のとおり、右金額となる。なお、その基準年収は、原告主張の昭和五三年度のそれによる。

(算式)

八八〇〇×二四×一二×〇・三五×一二・〇七七=一〇七一万二七八二

四  慰藉料 四〇〇万円

前認定の本件事故の態様、原告の傷害の部位、程度、入通院の経過、残存した後遣症の内容、程度その他一切の事情を考えると、右金額を相当と認める。

第四過失相殺

前記第二の二で認定した事実によると、本件事故発生については、原告にも、現実に右折するに際し、後方の安全を十分確認しなかつた過失が認められるところ、前記認定の被告森本の過失の内容、程度、本件事故の態様、当時の道路状況、加害車、被害車の車種の相違等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として、原告の損害の二割を滅ずるのが相当と認められる。

そして、過失相殺の対象となる総損害額は、前記第三の二ないし四で認定した本訴請求分の損害額合計二四五九万二七二二円と、本訴請求外の損害額合計一六七万三六二八円(被告らの主張3記載の事実は、当事者間に争いがなく、右各費目がいずれも本訴請求外であることは、弁論の全趣旨により明らかである。)の合計二六二六万六三五〇円であるから、これから二割を減じて原告の損害額を算出すると、二一〇一万三〇八〇円となる。

第五損害の填補 三三八万二九八八円

請求原因四及び被告らの主張3記載の事実は、当事者間に争いがないから、填補額は右金額となる。

第六弁護士費用 五〇万円

本件訴訟の経過、前記認容額に照らし、被告らの負担すべき部分は、右金額が相当である。

第七結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、一八一三万〇〇九二円及びこれに対する本件不法行為日の後である昭和四七年四月二八日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 弓削孟)

(別紙)

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例